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人とAIの協奏がもたらす製造業の変革|横浜ゴム・小石氏が語る「HAICoLab」の実践とAI設計開発の最前線


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2025年11月、SCSKでは、デジタルツイン、AI、材料開発、量子コンピュータ、サプライチェーンなど、製造業の未来ソリューションが集結する「デジタルエンジニアリングフォーラム2025」を開催しました。3日間に渡った本イベントでは、テーマ別にさまざまな講演が行われました。

中でもAI利活用をテーマにした「AI Aided Conference」では、横浜ゴム株式会社の小石正隆氏による「人とAIとの協奏」をテーマにした講演が、定員を超える大盛況となりました。今回は、小石氏の講演内容をもとに、製造業におけるAI活用の最前線について掘り下げていきます。セミナーにご参加いただけなかった方にもわかりやすく解説します!

【講演者・記事監修者】 小石 正隆(こいし まさたか)氏

【講演者・記事監修者】 小石 正隆(こいし まさたか)氏

横浜ゴム株式会社 研究先行開発本部
アドバイザリーフェロー AI ・ DX 担当
博士(工学)
【経歴】
入社以来、計算力学シミュレーション、多目的最適化、データマイニングなどの研究開発に従事
2020年より「HAICoLab(ハイコラボ)」を提唱現在はAI活用やDX推進、DX人材育成にも携わる

設計開発の鍵は「筋の良いベースライン」と「特徴量」

設計開発の鍵は「筋の良いベースライン」と「特徴量」

製造業の設計開発は、膨大な選択肢の中から最適な解を導くという、非常に複雑で高度なプロセスです。タイヤ開発を例にとると、目標性能を満たすために、形状・構造・材料といった設計因子(特徴量)を決定する必要があります。ここで重要になるのが、初期案としてのベースラインの選択と、どの特徴量をどう変えるかという判断です。

食品業界の事例に見る「探索の難しさ」

この課題は、食品業界でも同様です。とあるソースメーカーでは、新しいソースを開発する際、まず「こういう味にしたい」という目標のイメージを描きます。そして、そのイメージに最も近い過去のレシピを探し、調整して理想に近づけます。しかし、キャビネットに保管されたファイルには数万件のレシピが眠っており、探すだけで膨大な時間がかかります。さらに、「近い味」という概念は主観的で、担当者によって解釈が異なります。

そこで同社は、味を要素に分解し、定量化したデータと機械学習(AI)を活用して「近い味のレシピ」を客観的にリストアップできる仕組みを構築しました。これにより、探索の効率化と精度向上を実現しています。

製造業DXで膨大なデータから最適解を導く

タイヤの設計開発も、基本的な手法はこのソース開発と同じです。目標性能を満たすために、初期設計案のベースライン(近い味のレシピ)を起点に改善(味の要素変更)を重ねます。要求性能は複数あり、トレードオフの関係や制約条件、未確定要素も多く存在します。例えば、燃費(転がり抵抗)を高めるとブレーキ性能が低下する、といった具合です。さらに、リードタイム短縮が強く求められ、性能未達や生産時の不具合による手戻りは許されません。

このような状況で設計者が直面する最大の課題は、
「筋の良いベースラインをどう選ぶか」
「何を変えれば目標性能に到達できるのか」
という問いです。

膨大な過去のデータの中から、最適なベースラインを選択し、性能を改善する特徴量を見極める――そのためにAIの活用が期待されています。

AI活用に向けた課題──人によるバイアスは排除。でもひらめきは受け入れる

AI活用に向けた課題──人によるバイアスは排除。でもひらめきは受け入れる

AIは膨大なデータを解析し、設計者に「筋の良いベースライン」や「改善に寄与する特徴量」を提示できます。しかし、AIを導入すればすぐに成果が出るわけではありません。現場には、技術的な課題だけでなく、人に起因する課題が存在します。

バイアスが意思決定に与える影響

AIは客観的なデータに基づく提案を行いますが、最終判断をするのは人です。AIの提案を鵜呑みにするのではなく、設計者が、現場で培われた知見=現場知を組み合わせて最適解を導く必要があります。その際、確証バイアスや現状維持バイアスなどの、いわゆる認知バイアスは「データが示す新しい傾向」を見逃す原因になりかねません。その中で小石氏は「好ましくないバイアスをなくしつつ、ひらめきは大切にする仕組みが必要」と強調します。

認知バイアスの例

認証バイアス 自分の考えを検証する際に、自分の考えを証明する根拠ばかりを探してしまい、反証情報に注目しない傾向
現状維持バイアス 変化や未知なものを避け現状維持を望む傾向。変化や未知なものを「安定の損失」と認識
利用可能性ヒューリスティック 取り出しやすい記憶情報(よく見るものや印象に残るもの)を基準に判断すること
代表制ヒューリスティック 代表的・典型的イメージを判断や意思決定に利用してしまうこと
アンカリング ある事象の評価が、ヒントとして与えられた情報に引きずられること
現在バイアス 未来にある満足よりも現在の満足を優先し先延ばしする傾向
ステレオタイプ 多くの人に浸透している固定観念や思い込み
フレーミング効果 表現方法や質問定時の仕方によって、意思決定が異なる現象
ハロー効果 顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価がゆがめられること

なぜ「ひらめき」や「勘」が重要なのか

従来、経験に基づく直感=カンコツは「属人的」「再現性がない」「客観性に欠ける」として、科学的な設計開発の世界では敬遠されがちでした。しかし、AI時代の設計開発では、カンコツはむしろ重要な役割を果たします。

その理由は、未確定要素が多い現場では完全な最適解が存在しないからです。小石氏は「最適化アルゴリズムや強化学習をあえて使わない」と語ります。理由は、開発にあたっては制約条件や未知の要素が多く、確定要素だけで導いた最適解は実用的でないからです。こうした状況で頼りになるのが、カンコツです。ちなみに全てのカンコツが重要というわけではありません。属人的で根拠が曖昧、再現性が低いようなカンコツは組織的な知見としては活用できません。一方、質の高いフィードバックと十分な実践を通じて形成された、「経験+データに基づく直感」は、大きな力を発揮します。

さらに、活用できるデータ数が不十分な場合や、失敗や偶然から生まれる発見を活かすためには、ひらめきも欠かせません。2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、間違った試料を混ぜてしまった際に捨てるのはもったいないとテストを続けた結果、目的の物質を解析できたそうです。こうした事例は数多くあります。あらかじめ想定した領域の外に発見がある、失敗を失敗とせず固定観念の壁を破る、こうしたひらめきは成功の種になるのです。

このように、設計開発を効率化・高度化するためにはAIと人の協奏が必要であり、それが「HAICoLab」構想に繋がります。

HAICoLabによる人とAIの協奏。その仕組みと横浜ゴムの実践について

AI活用には単なるツール導入ではなく、人とAIが協奏する仕組みが不可欠です。横浜ゴムが提唱するHAICoLabは、特定のシステムを指すのではなく、哲学・概念であり、実践の指針です。

HAICoLabとは何か?

横浜ゴム独自のAI利活用フレームワーク「HAICoLab」

(出典)横浜ゴム独自のAI利活用フレームワーク「HAICoLab」│横浜ゴム株式会社

HAICoLabは「Humans and AI collaborate for digital innovation」をもとにした造語で、固定観念やバイアスにとらわれない視点から、仮説設定・AI活用・解釈・判断を通じて、プロセス・製品・サービスを革新することを目指します。重要なのは、AIと人がそれぞれの強みを活かし、役割を分担することです。

AIの役割:膨大なデータを解析し、パターンを抽出。目標性能に寄与する特徴量や、筋の良いベースラインを提示する。

人の役割:仮説を設定し、AIが示す情報を鵜呑みにせず、現場知と組み合わせて解釈・判断する。制約条件や実装可能性を踏まえ、最終的な意思決定を行う。

まずは問題(仮説)を人が設定し、社内データ(ドメインデータ)や社外の様々なグローバルデータをもとに、AIが予測/分析を行います。そうして出てきたアウトプット(予測結果、特徴量、判断根拠などの情報)を人が解釈し判断する。このヒューマンインザループ(AIの構築運用におけるライフサイクルに人間の対応を組み込むこと)によるAIと人との協奏によって、設計開発のスピードと精度は飛躍的に向上します。

(参考)HAICoLabを実現するインフラ基盤

講演では、アプリケーションに関わる話が中心でしたが、それを動かすAIインフラ基盤も重要です。横浜ゴムではAWSおよびAWSアプリケーションを活用し、データレイクやデータウェアハウスとしてAIモデル構築に必要なデータを整備したうえで、AIモデルを作成しています。

SCSKではお客様のご要望に応じて、AWSをはじめとするクラウド環境の構築や、各種データ利活用の仕組み(データインテリジェンスプラットフォーム)を提案いたします。詳しく知りたい方は下記の記事もご参考ください。
AWS Summit Japan 2025イベントレポート~生成AIアプリ開発の内製化を支える最新のクラウド基盤~
Data + AI Summit 2025 イベントレポート~Databricksが拓くレイクハウスのその先とは~

横浜ゴムの実践事例①タイヤ設計開発

横浜ゴムは、タイヤ特性値の予測AIと、特性値に寄与する特徴量を推定するXAI(SHAP)、技術報告書などの社内ドキュメントを参照する生成AI(RAG)を活用した、設計開発支援システムを導入しています。

生成AI(RAG)を活用した、設計開発支援システム

手順としては以下の通りです。
Step1:目標となる性能と、ベースライン(過去の設計モデル)を選択
Step2~3:XAIの探索結果とRAGによるドメイン知識を踏まえ、変更する特徴量と変量幅を決定
Step4:変更した結果を予測AIやシミュレーションで確認
Step5:上記を繰り返し、仕様を変更
Step6:最終仕様を決定

ここでAIは、人の経験や知識を補う情報として、特性値の改善に寄与する設計因子(特徴量)や、最終仕様の根拠(各特性の目標達成に寄与した設計因子とその寄与率)や、社内ドキュメントに示されたドメイン知識を明示してくれます。設計者はその情報を踏まえ、過去の知見と合っているか?制約条件を満たしているか?生産トラブルの懸念はないか?前例はないが大丈夫そうか?を、カンコツによって判断します。

(参考)SCSKが提供する設計開発シミュレーションのソリューション

SCSKでは、Step4で使われるシミュレーション(CAE)ツールのほか、モノづくりを加速するITソリューションを幅広く取り扱っております。詳しく知りたい方は、以下の記事もご参考ください。
人とくるまのテクノロジー展 2025レポート~AIエージェントと量子コンピューティングによるモビリティの未来~
「3D」のサロゲートモデルとは?深層学習・AIを活用した最新技術でフロントローディングを実現
材料開発にかかる時間とコスト、人的リソースを大幅に削減MI分野の注目ソリューション「Citrine Platform」

検索ボックスに「CAE」でもっと多くの記事をご覧いただけます!

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横浜ゴムの実践事例②生産プロセス革新

HAICoLabの考え方は生産プロセスにも応用され、ゴムの混合プロセス改善を実現しました。

タイヤの製造プロセス

タイヤの製造プロセス

具体的には、混合プロセスにおける各種データとAIツール(特徴量自動探索ツール)を利用して、物性値の安定化に寄与する特徴量を探索しました。ゴムの混合プロセスはゴムの物性値や品質を左右する重要な工程ですが、ミキサー内部で行われるため目視で確認することができず、これまで実態が明らかになっていない部分がありました。しかし、データサイエンティストと材料エキスパートによる混成チームによるAIを利用したデータ分析の結果、混合プロセスの一部のメカニズムを解明することに成功し、物性値の安定化だけでなく、混合時間の短縮を実現しました。さらに、担当者のカンコツによって「ここがポイントだ」と判断していたプロセスが、特徴量というデータとして客観的に裏付けられました。

実はその成功の裏で、AIが提示した特徴量(具体名は示せないので「特徴量A」とします)の解釈と判断をめぐり、専門性や経験の異なるデータサイエンティストと材料エキスパートの間で対立がありました。変動量が小さくてもそれを注視するデータサイエンティストの視点と、日ごろ見慣れている小さな変動量には着目しない材料エキスパートの視点で生じた見解の相違です。さらにこの特徴量Aは、データとして観測はできても意図的に変更できないパラメータであったため、どのように対処すべきかが問題となりました。

結果として、後述するオープンマインドに導くファシリテーションにより、データサイエンティストが注目した特徴量Aに焦点を当てつつ、材料エキスパートのドメイン知識を統合することで、「特徴量Aを望ましい方向に間接的に変化させられる特徴量B(直接制御可能なパラメータ)」を特定することができ、成果につながりました。

このように、AIが導いた情報を解釈する際には専門性や経験が必要ですが、それだけで十分ではなく、多角的な視点で解釈し判断することが大切です。これこそがHAICoLabで謳われている「好ましくないバイアスの排除」につながります。また、HAICoLabの狙いは、単なるプロセスの効率化ではありません。AIが提示する情報を検証し、現場知と組み合わせる過程で、設計者の勘が鍛えられ、ひらめきが生まれます。そのように育てられたカンコツは、組織の知見として共有され、AI活用の高度化に繋がっていくのです。

AI人材を育成するためのポイント――3つの力とオープンマインド

ここまでご説明してきたように、AIと人との協奏を実現するためには、単にツールを導入するだけでは不十分です。現場でAIを活かし、価値を創出するためには、人材の意識とスキルを変革する必要があります。そのために3つの力とオープンマインドを重視しています。

HICoLabに必要な3つの力

HICoLabに必要な3つの力

1. ビジネス力:課題を整理し、解決への道筋を描く力
3つの中で最も大切なのがビジネス力です。そもそも自分の仕事とデータ活用が結びつかない人に、AIやデータの使い方を解いても意味がありません。ビジネス力とは、課題を整理し、解決までの道筋を描いて共有する力です。まず、担当者目線ではなく、管理職や経営層の視点から目的と目標を設定します。次にステークホルダーにとっての価値を明確化した上で課題を設定し、その課題解決に必要なデータや情報、デジタル技術を整理し、課題解決の道筋を設定することで、データ活用やDXに向けたマインドを醸成します。

2. データ活用力:データを理解し、適切に使う力
AIを使うためには、データの意味や構造を理解し、適切に活用できるスキルが欠かせません。単なるデータ分析の知識ではなく、現場の課題に即したデータ活用力が求められます。AIが提示する情報を多角的に解釈し、現場の課題解決に役立つアクションに落とし込む力が不可欠です。

3. メタ認知力:自分の判断を客観視する力
AIの提案を鵜呑みにせず、好ましくないバイアスを排除し、現場知と組み合わせて最適解を導くためには、メタ認知力が必要です。メタ認知とは、自分の思考や判断を客観視し、「これでいいのか?」と問い直す力です。HAICoLabでは特にオープンマインドを保持したメタ認知が推奨されています。多様な視点を受け入れ、異なる意見を尊重し、好奇心を持続する。こうした姿勢が、AIと人の協奏を支える基盤になります。

オープンマインドがもたらす効果

オープンマインドがもたらす効果

認知バイアスは、意思決定に悪影響を与える要因です。確証バイアスや現状維持バイアスなど、人は無意識に「自分の考えを裏付ける情報」ばかりを探しがちです。オープンマインドを保つことで、AIが提示する情報を解釈し判断する際に、こうした好ましくないバイアスを軽減することができます。

さらに、オープンマインドはひらめきを生む土壌にもなります。固定観念を破り、データが十分に存在しない領域においても新しい価値を見出す。この創発が、HAICoLabの目指す姿です。

人とAIの協奏が切り拓く未来の製造業

人とAIの協奏が切り拓く未来の製造業

HAICoLabは単なるAI導入ではなく、人とAIが協奏することで製造業の価値創出を目指す取り組みです。本記事では、設計開発におけるAI活用の現状、課題、そして人材育成のポイントを紹介しました。

重要なのは、AI活用の目的は業務効率化だけではなく、AIが提示する情報を検証し、現場知と組み合わせる過程で、組織の知見が形成され、新しい気付きを活かす土壌を作るという、業務のあり方を高度化することです。人とAIの協奏は、プロセス・製品・サービスの変革と同時に、人自身の変革をもたらします。製造業DXの未来は、AIと人が互いの強みを活かし、共に価値を創出する世界です。HAICoLabは、その第一歩を示しています。

小石氏は今後の展望として「エージェンティックAI(※)時代」における人とAIとの協奏を見据えています。状況や文脈(コンテキスト)に応じたプッシュ型の支援や、ドメイン知識の共有・再活用を可能にし、多角的な視点からの解釈や判断根拠を参照できる仕組みによって、製造業の進化はさらに加速するでしょう。

(※)AIエージェントおよびエージェンティックAIについては、こちらの記事で詳しくご紹介しています。
AIエージェントとは?生成AIとの違いや特徴、活用事例などをわかりやすく解説|SCSK IT Platform Navigator

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